chronic life

I can (not) have relations.

『エヴァンゲリオン交響楽』を聴き乍ら

こんな時間に家にいます。何かの呪縛から解き放たれたように、僕は今、意識と時間を超克して、何者からも不干渉を貫く、反虚体の姿を模している。悟りを開くと同時に、僕は堕落をも体現した。
もう直ぐ、終わる。何もかもが、跡形も無く消滅する。僕の終わりは、世界の終わりだ。認識することを放棄したその瞬間から、僕は世界であって世界でない。観測せざる傍観者は、既にその存在そのものが、矛盾を孕んでいると共に、とても不安定な状態なのだ。だから僕は叫ぶことも出来ずに唯、ミネルヴァの梟が飛び立つのを見送るだけだ。他には何も出来ない。何も出来ない。することも出来ない。しようとすることも出来ない。留まることも、動かないことも出来ない。死ぬことも、生きることも両方出来ない。幽霊のように成仏も昇天もせず、唯現世をフラフラと浮遊し続けているのみ。
しかし、やがてその浮遊も終止符を打つ時が来る。終わりたい訳ではない。終わるのを阻止出来ないだけなのだ。否応も無く終わっていく世界と自分も、もうどうしようも止めることが出来ない。大きく動き出したその歯車に、楔を打ち込むような真似は、到底無理と云うものだ。自分が変わらないのだ、世界が変わる訳が無い。
同じように僕は、誰かも一緒に壊していくだろう。僕の終わりは、誰かにとっての「僕」の終わりでもあるのだから。誰かが持っている、誰かの中の「僕」。僕とは違う「僕」。連続性を欠いた、それでも同一線上に並んだ、僕と「僕」。多くの「僕」。僕は「僕」から逃げ出そうとして、結局「僕」の執着から逃れられない。夏の熱気に押し負けたように、匣にみっしりと詰め込まれたように、夢の幻に翻弄されたように、堅牢な檻に閉じ込められたように、誰かの理にすっかり絡め取られたように、宴の狂騒に舞い踊らされたように、己の瑕を見せ付けられたように――僕は、「僕」の手を離した。
そして、堕ちていった――。何処迄も何処迄も、魘されるように、堕ちて逝った――。