chronic life

地下室の屋根裏部屋で

長嶋有『夕子ちゃんの近道』新潮社

「おねえちゃんは、私のコスプレを、そんなことしてどうするのっていう目でみるよ。でも、箱もコスプレも同じじゃないの」夕子ちゃんの口調にはさらに切実な響きが混じっている。ここは大事だぞ。この会話のハイライトだぞ、と気を引き締める。引き締めるが、何をいえばいいのか分からなくなる。(p.62)

 最近の若者はなってない、という言葉がある。僕もいわれた気がするし、僕より上も、その前も、ずっとずっといわれてきただろう。だけど朝子さんや目の前の男の子をみていると、なってる、と思う。若者のなってなさは、僕の世代で底をうったのではないか。(p.122)

皆、仲良しだなあと急に思う。日本にいるときからもちろん仲がよいのだが、わざわざ、という言葉が浮かぶ。パリにきてまで仲良くしてる。(p.213)

記念すべき、第1回大江健三郎賞受賞作。まぁ、そうじゃなくても読んでいたとは想いますが、発売されて一年四箇月も経ってから云ってもあまり信用してはもらえないかも知れません。とにかく、面白かったから何でもいいです。時に、「その中に入りたくなる」「登場人物達の仲間に入れて欲しくなる」フィクションと云うのがあったりしますが、これは正にそういう作品の好例だと想いました。皆が凄く親密と云う訳でもなく、かと云って酷く疎遠だったり仲が悪かったりする訳でもない。この小説で描かれているような関係性と云うのがとても好ましく、またそれを眺めるように佇みながら話を紡いでゆく語り手の「僕」の存在と云うのが、実に良い。そういう意味でも僕は、三つ目に引用した箇所がとりわけ好きで、こういう感慨を抱く(抱いてしまう)と云うのが、「僕」の個性と云うか、僕が非常に共感してしまう部分なのでした。そう云えば、先月末のトークショーで、山崎ナオコーラさんが推理した「僕」の名前を披露していました。当たっていたのか否かは深い深い霧の中ですが、僕もその説を支持したいと想います。まぁ、敢えて書きはしませんが。

夕子ちゃんの近道

夕子ちゃんの近道