chronic life

地下室の屋根裏部屋で

親友と友人と知り合いについて

さて、是等の者達に、一体何処で線引きをするべきなのか? 或いは、元来線引きする必要等無いのかも知れないが……。しかし、人は誰しも相手に因って、その接し方や距離感を微妙に、無意識的に(或いは意識的に)変えている。それは何故か? その相手に、踏み込まれても良い(可能な)範囲。心の領域の差と云うのがあるだろう。是は俗に云う「A.T.フィールド」の問題にも拘わって来るのだが、今は一先ず先送り。そんなことよりも、今此処で僕が問題にしたいのは、あわよくば家に泊まらせて貰おうと迄想っている友人が、僕のカラオケに対する並々ならぬ情熱を、殆ど知らないと云う現実である。是は勿論、その友人を責めている訳でも、憤っている訳でも無い。唯、その友人と僕の関係とは、その程度のものだったと云う証明でしかない。是は一体何を意味するのだろうか? 僕の、カラオケに対する情熱が、未だ未だ乏しい所為だろうか? それとも、彼と僕が共に過ごした時期が短かった所為だろうか? そもそも彼と僕との関係とは、一体上記のどれに当て嵌まるものなのだろうか? 一寸だけ、不安になってしまった。けどそれはきっと、僕は無作法だからいけないんだ。僕が、無知で愚かで、情けないから……。「凡ては皆、僕だけだー!」と、碇シンジも云っている。そう、そして僕もそう想っている。心の壁を取り払ってしまえば、もっと楽になるのかも知れない。それでも僕は、他者の存在するこの世界を選択するだろうか? シンジのように、再びこの地に舞い戻って来るのだろうか――?