chronic life

地下室の屋根裏部屋で

はてなダイアラードラマ百選

id:kumayou666さんからバトンを戴いてから、既に結構な時間が経っているので、未だ完成していませんが、取り敢えずupします。後で、加筆訂正すること必死。すいません。
では、いきます――。


リップスティック(1999年4月〜6月 月曜21時放送 フジテレビ系列)
ISBN:4795801266(ノベライズ)
ASIN:B00005FSTV(ヴィデオ)

東京第二少年鑑別所の法務教官有明は絵を描くのが趣味。今日もスケッチした街行く人々に天使の翼を書き込んでいく…。
有明の勤める鑑別所に傷害事件で入所してきた早川藍は2年前に家出し、アパートに愛猫シュウと暮らしていた。藍が同室し、4週間をともにすることになった4人の少女はそれぞれに辛い思いを抱え、現実に器用に適応できずにいた。妖しい微笑みをたたえる三池安奈、はすっぱな物言いの金髪の少女・松田恵理子、おとなしくまじめで母親思いの井川真白、そして無口な中学生・鈴丘小鳩。
藍はシュウのことが気掛かりで脱走を企てるも失敗、「シュウがあたしをまっているんだ! 行かないと死んじゃう」と暴れる藍に「無理だよ。規則だから」と言い放つ有明
有明はその日、死んだ兄の恋人に思いの丈を打ち明ける。しかし虚しい結果が残るのみだった。そして有明は藍のアパートに向かう──。
藍は有明に出会うことで、有明は翼折れてもなお飛ぼうとする藍に接することで、ささくれた心を癒し自分を再生しようと試みる。ある少年鑑別所で出会った少女たちと教官たちが紡ぎ出す4週間の物語。

えっと、かなり苦労して色々と文章を捻くってみたのですが、どうしても一本筋の通った論文形式に落ち着いてくれなかったので、此処は一つ、一寸形を逸脱して、ほぼ箇条書きの如く散文を書き散らしてみたい。いや、みたいとか云っても仕方ないんだけど。


云わずと知れた、90年代のドラマ界を記憶と記録の両面で引っ繰り返した怪物脚本家――野島伸司。個人的に云えば、彼の代表作にして最高の問題作。この衝撃は、未だ破られることは無い。その愛の深さは、誰も届くことは無い――。
今回この百選を書くに当たって、全話ヴィデオの完全版で観返してみたのだが、粗筋は勿論、要所要所に至っては台詞の一言一句迄頭に入っていたと云うのに、それでも心を揺さ振られ、時には涙してしまった。少しはこの項の為に、台詞や演出をメモろう等と考えていたのだが、その手は殆ど動くことなく、唯一身に画面に釘付けになってしまった。
改めて観てみると、余りに語るべき部分が多過ぎて、何処から手を付けたらいいのか、さっぱり見当が付かない。そんな訳で、取り合えず外堀から。
本作は、前年(1998年)末に放送された『世紀末の詩』で執拗に追い求められていた、「究極の愛」の実践版とも云える内容で、キャストや台詞についても『世紀末の詩』との共通点は多い。主演の二人(三上博史広末涼子)を始め、主要キャストの多くが『世紀末の詩』及び過去の野島ドラマ経験者で、ある意味『世紀末の詩』とは違った角度での、野島ドラマの総決算とも云える。それは勿論、作品のテーマ――思想性にも大いに拘わってくる処である。
連続ドラマで描かれる殆どの物語に、何らかの形で恋愛の要素が組み込まれている。勿論正面きって、「恋愛ドラマ」と銘打っているものも多い。しかし、野島ドラマ程、その愛について深い思想を傾け、「愛」の実存について真剣に模索するドラマは他に存在しない。その中でも、この『リップスティック』は特に詩的・思想的要素が強く、そのナレーションや台詞の多くで、白地に愛を巡る言葉達が飛び交っている。そしてその愛は、非常に深く時に難解で、人に因ってはとても厳しいものに映るだろう。
例えば、このドラマについて語る上で、何を置いても絶対に外してはいけないのが、その「愛」と云うモチーフとはある意味対となる(と想われる)、ヒロイン藍が語った「永遠と云う名のバス」と云う存在(概念?)である。そのバスは、多くの人達が乗る賑やかで楽しそうだけれど、何時しか必ず下ろされてしまう、「恋愛」と云う名のバスとは違い、想像しなければ眼には見えないけれど、愛する人と二人であれば決して下ろされることは無く、空さえ飛べる代物なのである。
――さて、この説明を聞いて、一体どれだけの人が「あぁ、成る程」と想ったことだろうか? 勿論僕の要約が拙いと云うことを加味したとしても、その考えの先鋭さは、常人がおいそれとは理解し難いものであることは確かだろう。「愛」と云うものを突き詰め、遂には「愛」を突き破ってしまったかのような上記の「永遠と云う名のバス」のモチーフは、このドラマのラストそのものを暗示している。
永遠とはつまり、砂の入っていない砂時計であり、その中央に位置するのが藍と悠の二人である。藍=愛=Iであり、悠=友=youである。そして藍は云う。「恋愛よりも、永遠の方が大事だよ」と。
永遠――。それは前年(1998年)1〜3月クールにTBSで放送された、同野島ドラマである『聖者の行進』の主人公である、町田永遠の名前と同じである。彼=野島伸司が、如何にこの「永遠」と云う言葉=思想に拘りを持っているかと云うことが窺える処である。
又このドラマは、友情劇としてもとても優れている。少年鑑別所の一室と云う、非常に限られた舞台の中で繰り広げられる、藍と同室の四人との心の交流。それぞれに全く異なった個性と背景を持った五人の少女達。限られた時間・限られた場処だからこそ、彼女達はお互いにお互いのことを深く想い、その友情を温め交わしていく。特に私が個人的に推したいのは、井川真白があることで非常に深く傷付いた時に、夕暮れが差し込む中、収監室で五人が互いに顔を合わすことなく涙するシーンである。このシーン程、彼女達の距離感と絆の深さが善く現れているシーンはないのではなかろうか。しかし実際、その先に待ち受けていたのは、哀しい結末だったのだが……。
さて、語り尽くそうと想えば、幾らでも語れてしまうと云うのは、作品の豊饒さであると同時に、話者の技量の問題でもある。僕にはとても、この作品について結論めいたことを書くこと等出来ない。いや、端から別にこのドラマ百選で、そんなドラマ論のようなものを書く必要は無いのであろう。唯単に、僕が独りでテンパっているだけなのだ。だから、悪いのは僕だ。
――しまった。又自分語りになってしまった(笑)。
で、兎に角この辺で終わりにします。全然紹介になってなくてすいません。ドラマは兎に角面白いです。野島伸司が嫌いな人も、出来ればヴィデオで観てみて下さい。嵌る人は、嵌ること請け合いです。
最後に、今回のこの項を書くに当たりまして、大変参考にさせて戴きました、野島伸司カタルシスさんに感謝の念を捧げまして、締めとさせて戴きます。
で、次の選者ですが、殆ど絡んだことがないのですが、是非語って戴きたいと云う僕の気持ちだけで、id:k-s1rさんにお願いしたいと想います。何卒、宜しくお願い致します。
では、そういうことで。