chronic life

I can (not) have relations.

R界

此処三日位、この日記はR界の僕について殆ど触れていないような気がする。勿論、『キャッツ』を観たり文フリに行ったり、打ち上げで淡々とモスコミュールを呑み続けたりしているのは、リアルな僕な訳ですが、そういうことでは無くて、はてなダイアラーを離れた――本当にリアルな僕と云う意味である。いや、もっと云ってしまえば、そういう「京極の人」や「溝口要皓」等と云う、佐藤友哉的キャラをメタ視点で眺めている、プレイヤーとしての「私」の視点の欠如――である。以前少しだけ書いたように、この日記はある意味、メタリアル・フィクション的な手法を用いて執筆している積もりな訳で、そういう第三視点としての「私」が欠如してしまうと、唯のゆるゆるな駄文で終わってしまう。まぁ、どちらにしても僕如きが書くことですから、結局駄文の域を出ないであろうことは、想像に難くない訳ですが(笑)。
文フリではしゃぐ僕と、病気で留まっている僕と、恋に現を抜かしている僕と、ドラマで熱狂している僕と……と、そう云った多重構造的な「僕」の重責に因ってのみ、初めて幻想ではあり乍ら統合的な自我の存在(上記における「私」)を夢想するのである。いや、書いていて自分で意味が判らない。暇な訳でも無いのに、こういうことを書いてしまう。あ、ピリオドの向こうが見える――。