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好き好き大好き超愛してる。/舞城王太郎/講談社

読了。素晴らしい。傑作。これまで読み残していた甲斐があった。と云うか、これで漸く舞城の単行本全部読んだぞー。新作が出るまでは、なるべく未読本を残しておきたかったのだけれど、読んでしまったものは仕方ない。「仕方ない」とは何事だ。こんなに面白かったのに。以下、各短篇に関する感想、或いは雑感。

好き好き大好き超愛してる。

凄い好きだー。「好き好き大好き超愛してる。」を、好き好き大好き超愛してる。オール舞城の中で、人生最愛の書『九十九十九』の次に好き。それ位めった打ちにされた。愛は祈りだねぇ。「愛」と「祈り」と「物語」の小説。何だよ、そんなの好きに決まってんじゃん俺。何でこれまで読まなかったんだよ。自分の莫迦。けど、今読めて嬉しいからいいや。本当に大好き。これは恋だね。片想い。
柿緒がねぇ、いいんだ。読んでる最中に、想わず「柿緒ー!」って叫んじゃった。世界のち(ry。ネタはさておき、これなら色んなところで色んな人に『セカチュー』と比較されていたのも判りますね。比較って云うか、返答みたいな感じでさ。確かに、そういう風にも読める。かなり批評性高いしね。けど、物語がいいんだ。祈りがいいんだ。僕みたいに、「セカチュー」と「マイジョー」両方で涙するってのも、何だか正常なんだかおかしいんだかって感じだけど、僕は両方好きなんだ。両方感動するんだよ。悪いか? いや、悪くない。愛は愛だよ、祈りだよ。

ドリルホール・イン・マイ・ブレイン

ファウスト」Vol.1以来の再読。最初に読んだ時は、結構混乱した部分があったけれど、今こうして読んでみると、なかなかどうしてすっきりしている。理解力が上がった訳ではないと想うが、昔よりちゃんと読めてると想う。やっぱりこっちも、愛の物語なんだよなぁ。と云うか、舞城の小説は殆ど凡て「愛の物語」なんだけどさ。
人間が現実を生きていて、或いは現実じゃないとしても、人が人を愛する時、そこには必ず「性」の問題ってのも絡んで来る訳で、それはとても単純なようでいて複雑で、それでもやっぱり判り易いもののような気もする。これはある意味「好き好き〜」の「ニオモ」の章の発展形のようにも読めて、けどそれって作品発表の時系列的におかしくて、じゃあどっちがどっちなんだって云われると困る。と同時に、メタ「セカイ系」とか訳の判らない言葉が頭を踊ったりもします。脳がセカイで、世界は脳内。内側が外側で、中が外。脳髄地獄? いや、そういうことか?
と云うか、舞城読んだ後は文章おかしいんだよ。普通に書けなくなっちゃうんだよ。直ぐ影響受けちゃうから。だからもう感想とかお終い。愛は祈りだ。それで良し。

好き好き大好き超愛してる。

好き好き大好き超愛してる。