人は時に、いや大抵の場合間違いを犯す。小説で書けばいいことを日記に書いたり、日記に書くべきことを小説にしてしまったり……。いや、何と云うかあまりにピンポイントで限定的な話ですがね。僕も常々、その境界線をあっさり踏み越えてしまったりフラフラしてしまったりして、日々反省な訳ですから、そんな偉そうに人様にどうこう云えるような立場ではないのですが、今偶々自分が小説を書きながらそれを読んでしまったものだから、ついうっかりこんなことを宣っている訳です。
勿論、小説にしてしまっては、本当に伝えたいことが伝えたい人に届かないかも知れない。ネット上に日記と云う形で掲載することが、或いは「伝達」と云う点においては最もベターなのかも知れない。「最もベター」なら、それはベストだろうと云うツッコミはさておいて。しかし、それでもやはり、やはり敢えて小説と云う形式に拘ると云うのも一つの手なのではないだろうか。僕は、そこに拘っていきたいと想っている。小説と云うものが持つ力に、賭けてみたいと想っている。そりゃあ、日記や何かで適当なことを垂れ流したりもするだろうけれど、本当に誰かに伝えたい、伝わって欲しいことは、僕はいつだって小説と云う形で表現していこうと想っているのだ。「想っている」ばかりで恐縮ではあるけれど。
それに僕は、この考えを他の誰かに押し付けようと云う気はさらさらない。日記や手紙や電話やメール、或いは口頭や表情の方がよっぽど自分の気持ちや云いたいことが相手に伝わるよ、と云う考え方もあるだろうし、実際僕だってそう想ってない訳じゃない。それも一つの道だし、寧ろちゃんと舗装されていて、一番歩き易いのはその通りなのだろう。けど、そうじゃない道もあるんじゃないだろうか。回りくどくて荒れ果てていて、とても普通の人は通りそうにないような、そんな道しか通れない人だって、そんな道でこそ最も素直に自分の想いや考えを表現出来る人だっているんじゃないだろうか。だから、僕はそう想うから、こんな論旨のはっきりしないことを長々と書き繋げようとしている訳ですよ。
結局何が云いたかったのかと云うと、それはやっぱり私信なのかも知れない。しかし、僕はそれをコメントやリファを飛ばすと云った形で表現出来なかったから、こんなところでブツクサ云ってる訳だ。弱虫と云えばその通りだし、負け犬と云えばそうなのかも知れない。ここで云う「負け犬」は、『負け犬の遠吠え』的なアレではなくて、通常の意味での「負け犬」ではあるが。と云うか、男は負け犬とかのジャンル分け(?)ではどういうポジションになるんだっけ? 「負け猫」とか「負け狸」とか、何かそういうの色々作ればもっと面白いのに。動物占いみたいに。あー、また超脇道逸れたよ。全く、この脱線具合は超人的だね。『キン肉マン』に出れるよ、多分。もう、本当に酷いね、この辺……。