chronic life

I can (not) have relations.

#脱線

InstagramTwitterFacebookに同時投稿した後も、色々と調べたり考えたりしているが、それと同じかそれ以上に、SNSにおけるハッシュタグの利用法について悩んでいる。いや、実際は悩んでいると云うか、観てるドラマのタイトルとか、行ったお店の名前とか、初めて食べた新製品のお菓子とか、もっと別に他愛もないフレーズだったり、自分の投稿へのツッコミだったりと同じ重さの筈のものが、妙に重要がられたり、反発されたり、つけたつけないで敵味方に分けようとされたり……。ハッシュタグはそんなつもりで使われ始めた訳じゃないだろうになぁ、と同情している、と云うのが一番近いかも知れない。
あるハッシュタグがバズる(と敢えて書く)と云うことは結局、「バルス」と同じようなもので、別にそれでいいんじゃねぇの?と、私は思う。よく考えずノリや勢いでつけたっていいし、逆にそれを怖がることもない。とあるSNSの一つの投稿に、どういうハッシュタグをつけるかなんて全然、大事(おおごと)じゃない。たとえそれが有名人だろうが専門家だろうが、悪質なデマやヘイトみたいな普通に本文に書いててもヤバいこと以外なら、好きなようにハッシュタグをつけたらいい。それが許されている、と云うか当たり前な場所だと思って、私はSNSを使っている。SNSに限らないな、ハッシュタグがつけられる凡ての場所で。他の人がどう思うかは、また別の話だけれど。