chronic life

I can (not) have relations.

「ライク・ア・ジョーク」の途中に

 ふと、猛烈に保坂和志の文章――それも小説――が読みたくなって、ある種禁断症状のような雰囲気になってしまったのだけれど、よくよく考えてみたら、僕は保坂さんの本を凡て図書館から借りて読んでいたので、ウチには一冊も本がないことに気付いて、余計に読みたさが増してしまったのだった。どうしようもない。まだ書店も図書館も開いていないし、そんなことよりこれはもっと根本的な問題のような気もするのだ。
 僕は取り敢えずPCを起ち上げ、保坂さんのサイトにある文章を読むことにした。そして少し落ち着いてきたので、今これを書いている訳だ。

「ふと」などと、何気ない感じで書いたけれど、本当は保坂和志の小説を読みたくなったのには理由――と云うか原因があって、その原因と云うのは、僕が自分の小説を書いていたと云うことである。しかし、真似をしようとか参考にしようとか、或いはパクってやろうとか想って読みたくなった訳ではなく、寧ろ実際は真逆に近い。要は、今自分が書いている小説が、保坂和志の小説と似てはいないだろうか、と云うことを確かめたかったからなのだ。つまり、僕の小説が単なる「保坂和志の二番煎じ」に陥っていないか確認したかったと云うことである。どうにも文章が回りくどくていただけない。僕の元々の癖と云うのもあるが、これも保坂さんの影響を考えないではない。

 いかん、話の本筋が一体どこだったのか、すっかり忘れてしまった。小説も書き掛けだし、保坂さんの文章も読み掛け。この文章も中途半端じゃあ、あまりにも実りがなさ過ぎる。いや、実りはあるか。実の育ち具合は、もぎ取る人が決めるのだ。それにしても、あまりにも議論が平行線過ぎて、もうどうにもコメントのしようがない。「議論」と云うのも違う気はするけれど、幾ら僕がディスコミュニケーションが好きだからって、アレはあんまりだ。人は、どうしてこんなに判り合えないんだ。逆に不思議で仕方がない。