chronic life

I can (not) have relations.

明け方の猫/保坂和志/講談社

おかしな人である。小説ではない文章を読んでいると小説のような気がしてきて、小説を読んでいると小説ではないような気がしてきてしまう。そんな保坂和志の諸作の中でも、この本は特に変わっている。「異色の作品集」と云ってもいいかも知れない。
表題作である「明け方の猫」は、終始「彼」と云う人称で語られているのだが、これは殆ど「私」である。ただ、「彼」は明け方見た夢の中で猫になっている。恐らく、そこに「彼」と「私」の距離感のようなものが存在するのだろう――とか、分析的なことはよく判らないが、とにかく「彼」は夢の中で猫になっていて、新米猫として周囲の風景や人間達、或いは他の猫について観察したり考えたりしている。それだけと云ってしまえばそれだけなのだが、そう簡単にはいかないのが保坂和志なのである。では、一体どうなってしまうのかと云うと……後は読んでのお楽しみ。
もう一篇の収録作である「揺籃」は、デビュー前の1980年6月から7月にかけて書かれたもので、デビュー後の作風とは多少異なっているように想われる。とても簡単に云ってしまえば、ラテンアメリカ文学的と云うか、マジックリアリズムとかそういう感じの作品だった。ラテンアメリカ文学なんて、殆ど読んだことがないような奴の戯言ではあるが、あくまで雰囲気なので。小説の中身にも絡めて僕が一番興味深かったのは、この作品が今の僕と殆ど同年代の頃に書かれた小説であると云うことで、最初はそんなこと全く意識せずに読んでいたのだけれど、読み進めるに従って、何だかとても近しい何かを感じたと云うか、判り易く云うと親近感と云う奴である。「あー、この小説を書いた奴と友達になって、色々話がしてみたい」とかそういう類のことを痛切に想ったのだ。今現在の保坂和志とは、正直とても友達になれるような気がしないのだが、この頃の彼と今の僕がもし出逢っていたとしたら、きっと良い友人関係を築けていたのではないだろうかと、かなりのリアリティを持って夢想することが出来る。そんな小説だった。

明け方の猫

明け方の猫