chronic life

I can (not) have relations.

死を想う病、そして

ニッポン放送あなたがいるから矢口真里』を聴き乍ら、今日ブックファーストの階段で、サイン待ちをしている時に途中迄読んでいた、くんくの『宮藤官九郎のビガーパンツはもう穿かない!』を暫く読み、途中でふと想い立って、京極夏彦師匠の『陰摩羅鬼の瑕』を読み返してみる。それは何故か? 実は、最近はーの親族が亡くなったり、中学の時の同級生から「(共通の友達の)某君の一周忌にお墓参りしない?」と誘われたりして、一寸だけ「死」を身近に感じる出来事があったもので、この作品で描かれている死生観のようなものに、再び触れたくなったのでした。
未だ嘗て、誰かの死の瞬間や亡くなった後の亡骸に、特段触れたことの無い自分にとって、死とは、何処か行ったことの無い外国の催しのようにも感じられる時がある。映像や文字でしか「死」と云うものを認識・理解していないと云う点で、僕は『陰摩羅鬼の瑕』の由良伯爵と殆ど同じ状態であるとも云えよう。僕は彼よりもほんの少しだけ、見識が広いだけなのだ。それは唯、程度の問題だ。いや、僕は何が云いたいのだろうか? 何も云いたくないのか? それなら何故今僕はこうやって、キーボードに向かって文字を打ち込んでいるのだろうか?