chronic life

I can (not) have relations.

邪魅の雫/京極夏彦/講談社ノベルス

「取り敢えず、目の前の相手にきちんと出来ると云うことは大事なことさ。痛感したよ」(p.589)

「堪え難く人との絆が重くなる――そう云うことはあるから。それが些細な関わり合いでも深い繋がりでも、そうした重みは感じるものだよ。解消するには自分が居なくなるか、相手に居なくなって貰うしかないのさ」(p.614)

「面倒になるんじゃないかなあ。解り合ったり通じ合ったりすることは不可能だと、僕のような人間は知っているから」(p.615)

「は、はい。僕ァ、その、こそこそ卑屈に適当なことをします」(p.666)

ある男に倣って、僕も昔話から始めたいと想う。振り返れば、僕がはてなを使い始めようと想ったきっかけは、このシリーズの前作『陰摩羅鬼の瑕』が出たことが発端であった。その時、今ははてなダイアリー*1に移転した「京極夏彦ニュース」において、キーワード「京極夏彦」や「陰摩羅鬼の瑕」を利用して、『瑕』の書評リンクが作成されていたのだ。その頃はまだ「はまぞう」などもなかったので、そうしたキーワードを辿って他の読者の感想や書評を纏めて読めると云うことが、当時の僕にはとても画期的に感じられたのだった。当然のように、この話にはオチも結論も教訓もありはしない。そこが、本当の昔話とは違うところか。
本作の著者が京極夏彦であるから敢えて書くのだが、僕はp.588から始まる「23」において展開される関口と益田、そして後に青木も加わる一連の会話を読むことが出来ただけで、充分に『邪魅の雫』を読んだ価値があったと想える。いや、意味があった。確かに、正直そこまでの500頁余りはかなり読みあぐねた。しかし、今になって考えてみれば、そのこともいい想い出になったような気がする。それに、一冊の本を読むのにより長く時間が掛かった方が、時が経ってもその内容をよく憶えている、と云う経験則もあることだし。それ以外にも、全篇通して益田龍一と云う人間にはずっと共感しっ放しだったし、その益田に関口が語った、人間関係の重さを鞄に譬えた話も非常に心を打った。新キャラでは、郷嶋が抜群に印象的だったし、今後も是非再登場していただきたい(某大佐もですが)。何はともあれ、今後「京極の講談社ノベルスのシリーズでどれが一番好きですか?」と訊かれたら、僕は迷うことなく「『邪魅の雫』」と答えるだろう。いやまぁ、小説としての出来はまた別として――。

邪魅の雫 (講談社ノベルス)

邪魅の雫 (講談社ノベルス)