chronic life

I can (not) have relations.

「ヘリオテロリズム」Vol.2自作解説

かなり長くなってしまいました。すいません。一応自分の気持ちに整理を付けるために書きましたが、読者への手引きには殆どならないような気がしますので、もし読もうと想われる方はそれ相応の覚悟の上、お読み下さい。基本的に、本解説への苦情はお受け出来ませんので(作品そのものへの批判その他はご自由に)。
『百億の秋に、千億の愛を』(以下『百億千億』と略)の連作は勿論、#4ですら未だ前篇しか出来上がっていない段階で、何処までのことが書けるか判りませんが、取り敢えず「君は僕に語りかける(上)」(以下「君僕」と略)についての覚書、または後書き――或いは悪足掻きを書かせていただきます。以下、未読の方はご注意下さい。
「君僕」を書こうと想った発端は、『新世紀エヴァンゲリオン』の劇場版*1へ僕なりの返答をしようと云うところから始まっていた。僕は折につけ、未だにあの「まごころを、君に」のラストシ−ンから一歩も前に進めていないような気がすることがままあった。そしてそれから脱却するためには、何か自分なりに答を出して、それを形にする必要があるだろうと感じていたのだ。そのためには、『EVA』への返答としての先輩である『ケイゾク/映画』を無視する訳にはいかないとも想った。あの映画はある一面で、植田博樹と云う一個人の、『EVA』劇場版へのとても個人的な答だったのだ。僕は『EVA』劇場版だけではなく、『ケイゾク/映画』の洗礼も受けてしまった一人の人間として、自分に出来ることをしよう、自分に出せる答を出そう、と強く決意を固めた。それが、この小説を書いた主な動機である。だからそれを象徴するために、作中に両映画の有名な台詞を、象徴的な形で引用している。それも、かなり判り易い形で。あの台詞で終わった映画への答を、あの台詞から始めたのだ。それが出来ただけで、僕にとってこの小説の意義は半分位回収出来ているのだ。どうにも、云い回しはおかしい気がしないでもないが。
話は変わって、テーマと主張の話。完成していないので仕方ないのだが、『百億千億』全体のテーマが殆ど読者に伝わっていないような気がして、今回の作品のキャッチコピーにこっそりそのテーマを隠しておいた。隠したと云う程大層なものではない。普通に読めば直ぐに判る。片仮名で書かれたアレである。全体のテーマについての詳しい解説は、また改めて書くことにしよう。連作が完結した時にでも。或いは、個別にお逢いした時にでも。
作者が読者に作品の読み方を指示するのは、とても格好悪いことだと重々承知しているのだけれど、それでも僕は「君僕」について一つだけ、読者に注意を促さなければならないことがあった。それは、この小説が決してミステリーではないと云うことだ。「特集:ミステリ」の同人誌に寄稿しておいてあんまりな云い分のような気もするが、それだけは避けなければならなかった。元々、そういう風に読まれるように書いてはいないし、そう読まれては困るとも想っていた。読まれた方なら判っていただけると想うが、「君僕」には一つとんでもない小ネタが使われている。トリックではない。これはあくまでも小ネタである。この小ネタには、僕の「ミステリー的な読み方」への痛烈な皮肉と云う意思が込められている。ミステリーが書けない僕が、「特集:ミステリ」(を掲げている同人誌)に作品を寄せるに当たって、自分には一体何が出来るのか?と云うことを真剣に考えた。そして想い付いたのが、「ミステリー的なもの」、或いは「ミステリー的な読み方」への批判である。これは僕が常日頃から抱いていた感慨でもあり、自分の作風とも合うと想った。つまり、凡ての小説(或いはその他の物語的創作物)に対して、無自覚に「ミステリー的なもの」を求めたり、「ミステリー的な読み方」をしようとしたりすることへの不満と警鐘である。それ故、この作品はどうあってもミステリーとして読まれる訳にはいかなかった。だから、敢えて内容紹介で別のジャンル名を冠した。勿論、凡ての読者がそこを読んでくれる見込みはないが、それでも少しは抑止出来るだろうと考えて。僕は何よりも、「君僕」がミステリーとして読まれないことを願っている。それがこの作品に対する、僕の唯一の希望と云ってもいい。
最後に、巻末の執筆者紹介の欄でも軽く触れていたが、参考にした、或いは引用した作品について記しておきたいと想う。主人公の「真行寺ゴウ」と云う名前は、ドラマ『ラブコンプレックス』の主人公二人(竜崎ゴウ・真行寺アユム)から拝借した。当初は、モロ「竜崎ゴウ」だったのだが、流石にこれは拙いだろうと想い直し、二人の名前をミックスする形で落ち着いた。次に、作中で紫羽繭子が強い空腹に喘ぐシーンがあるが、この場面は『夢のカリフォルニア』で柴咲コウ演じる大場琴美が、自室で空腹に耐えていたシーンにインスパイアされたものである。他にも色々とあるが、それでも今回は長さの割にはそういった先行作品のサンプリングは控えたつもりなので、色々な意味でかなり自由に書けた。別に、好きでサンプリングしていた筈なのだが、しないのはしないで楽しかったと云う意味で。どちらにしても、按配が大切。
上記の引用作品でも明らかなように、僕がもっとも師事している物語的創作物は連続ドラマである。だから、この連作が当初より全十三回とか煽っているのは、偏に1クールで1作品の連続ドラマの形式を踏襲しようと考えたからなのだ。つまり、短篇1作が1週分(1時間)。そう云った意味で今回の#4は、これまでで一番「ドラマ」を意識した作りになっている。勿論、最初から僕のやりたかったことはそれだったのだが――。漸く、書きたいことに少しだけ腕が付いて来た。いや、未だ未だ先は長いですがね。完結も、上達も。
ちょっと書き過ぎました。反省してます。とは云え、かなり言葉足らずなところばかりだと想いますので、意味が判らない、納得いかないと云ったところがありましたら、お逢いした時に直接云っていただくか、メール等でご質問いただければ、答えられる範囲で誠意を持って対応させていただきますので、何卒良しなに。あー、疲れた。

て云うか

今日、エイプリルフールですからね、皆さん。