chronic life

地下室の屋根裏部屋で

前田司郎「誰かが手を、握っているような気がしてならない」(『群像』2007年10月号所収)

ちょっと長めですが引用します。

 この件に関しても、今朝はごめんね、じゃ甘すぎるだろう。そんなに甘い時期はとうに過ぎた。もう僕とミナコはすっぱくなって来ている。上手い事を言った様な感じになってるけど大して上手くないな、そんなことよりどうしようか? 僕はシャケを少し箸で割ってご飯の上に置き、ご飯ごと口に運んだ、しょっぱい、ご飯が足りない、ご飯を追加で口に運んだ。どうだろう、しばらく、無視して見るか? それで気付かなかったみたいにするか? でもそうしてもあれだな、結局問題を先延ばししてるだけで、解決にはならないな。でも、考える時間は稼げるけど、時間をかけて考えることで好転するような問題かな、ひじきの煮物を箸でつまんで口に入れ、更にご飯を少しだけ口に入れた、シャケとご飯が噛み砕かれてペースト状になり、米の甘みとシャケの塩味とがちょうど良く混ざり合っているところに少し歯ごたえの足りないひじきが入ってくる、それにまだ粒がしっかりしたままのご飯が加わってちょうどいい、いや、この問題に関して言えばすぐに結論をだして、何らかの手を打ったほうがいいだろう、たとえその手が有効でなかったとしても、その方がいい、僕はおしんこを少しかじって歯ごたえをプラスして、箸を置き、携帯をもう一度パタンと開いた。なんて打とうか?(p.34)

群像 2007年 10月号 [雑誌]

群像 2007年 10月号 [雑誌]