chronic life

地下室の屋根裏部屋で

川上弘美『真鶴』文藝春秋

 夜の九時ごろって、人は何を考えるのかしら。聞いた。
 さあ。夜の三時や、あけがたの四時に感じることならば、知っているけれど。
 青茲の答えに、顔をあげた。三時や四時?
 三時は、少しの希望。四時は、少しの絶望。
 きれいな言いかたね。
 ばかにしたでしょう、いま、あなたぼくを。
 ばかにはしなかった。でも、きれいすぎると思った。希望も絶望も、きりはなすことができるものではない。(p.80-81)

「希みがもてない、のかも、しれない」
 のぞみが? みぞおちに痛みがくる。すき、という言葉も、のぞみ、という言葉も、同じ痛みをあたえる。(p.182-183)

僕は、本当はこういう小説をいっとう書きたいと想っているのだけれど、あまり信じてはもらえないような気がしてしまう。何故だろう。判るような、やっぱり判らないような。傑作。だが、誰かに薦めようとは想わない。きっと、読んでしまう人は放っておいても読むことだろうから。そう、今の僕のように。

真鶴

真鶴