仕事が好きなんだろう、とタケヤスは思った。そのことに、ほとんどしりが椅子にめり込みそうなほどに安心してしまう。そんな自分がいやだと思う。今のカジオが幸せなら、昔の自分の至らなさがなかったことになるかもしれない、などと。(p.62-63)
父親に会いたいと思ったことはない。テレビなどで、両親のどちらかに置き去りにされた子供がその親を探すというような番組を見るたびに、タケヤスは理解に窮してきた。その親という人は子供と共に生きないことを選択したのだし、そういった決定は覆さないのが大人としてのマナーだとタケヤスは考えてきたが、世の中はそうではないようで、親子の再会は涙ぐましく演出され、二等親の血の繋がりは動かしがたい至上のものとして、磐石の価値を築いている。わからない、とタケヤスは思う。(P.180)
自分が父に似てしまうというのが怖かった。少しでも働くということに抵抗を覚えたら、自分は父のように転落するとタケヤスは思い込んでいた。だから身をすり減らして働くことには、ある種の自己確認も伴っていた。(p.186)
「おれのこれまではそんな感じやけど、そっちはどうなん?」
父親をどう呼んだらいいかわからない。目の前の男は、お父さんでも親父でもない。血縁以上のものはもはやない。「そっち」などとはきっと言われたくないだろうというのはわかるけれど、タケヤスはそう呼ばずにはいられない。(p.188)
あー、やっぱりこういうところばっかり選んじゃいましたねぇ。全体としては、『夏の水の半魚人』の未来、或いは『婚カツ!』の陰画のようなイメージで、何とも身につまされる内容でした。もうね、堪りませんよ、本当に。
- 作者: 津村記久子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/02/20
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