chronic life

地下室の屋根裏部屋で

生きる歓び/保坂和志/新潮文庫

本書の収録作について、解説の大竹昭子氏が非常にシンプルで判り易く、的確に纏められているので、先ずはそちらを引用したいと想います。

妻の母の墓参りに谷中墓地に行ったときに、カラスに狙われている瀕死の子猫を見つけ、介抱して家で飼うことになるまでの経過をつづった『生きる歓び』と、田中小実昌の訃報に接して書いた『小実昌さんのこと』のふたつが収められており、それぞれを書いたいきさつについては、十数ページにわたる長い「あとがき」で著者が説明している。死にそうだった猫が助かり、敬愛する作家が亡くなるというカップリングは生と死というテーマを想像させるが、そうではなく、ふたつが一冊の本になったのは偶然だと、これも「あとがき」で述べている。(p.156)

次に、それぞれの小説で僕が最も心惹かれた部分を引用したいと想います。先ずは「生きる歓び」から、こちら。

「生きている歓び」とか「生きている苦しみ」とかいう言い方があるけれど、「生きることが歓び」なのだ。世界にあるものを「善悪」という尺度で計ることは「人間的」な発想だという考え方があって、軽々しく何でも「善悪」で分けてしまうことは相当うさん臭くて、この世界にあるものやこの世界で起きることを、「世界」の側を主体に置くかぎり簡単にいいとも悪いともうれしいとも苦しいとも言えないと思うけれど、そうではなくて、「生命」を主体に置いて考えるなら計ることは可能で、「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。(p.45)

続いて「小実昌さんのこと」より、この一文。

小説は批評されるときに「出来、不出来」が問題にされるし、普通に読むときにもどうしても「出来」が気になるものだけれど、それ以前に、書き手がどういうビョーキであり、その作品がどういうビョーキの産物なのかということの方が大事なのだ。(p.120)

と、引用しまくりな訳ですが、ちょっとこれはもう、本当に凄かったんだって。その凄さを少しでもお裾分けするためには、この方法が最適であり、尚且つこれしかないんじゃないかな、と想った次第です。保坂和志の長篇では『季節の記憶』と『カンバセイション・ピース』が双璧だと想っているのですが、短篇集ではこれが一番素晴らしかったな、と。この本を読めたことは、正に「生きる歓び」でした。いや、作中ではそういう意味じゃないんだけどね。

生きる歓び (新潮文庫)

生きる歓び (新潮文庫)