chronic life

地下室の屋根裏部屋で

ほとんど記憶のない女/リディア・デイヴィス/白水社

大変深く感銘を受けました。と、何はさておき書いておきたいと想う。それはこの作品に、僕が憧れる小説のある一つの理想形を見出したからだ。短篇集、いや掌篇集と云った方がいいだろうか。200頁に満たない本文中に51篇の作品が収められており、短いものでは僅か2行、長いものでも30頁弱である。しかし、そこに浮かび上がるのは、何とも豊かな小説の持つ素晴らしさである。詩やエッセイや旅行記など、一見小説とは想えないような作品も少なくはないが、それでもやはりこれらはどこまでも、小説でしかありえないのだと感じさせてくれる。それが小説の力であり、豊饒さなのだと想うから。
「書く」と云うことに、とても自覚的な作家だと想う。それが非常に際立っている「話の中心」や「面白いこと」、実験的とも想える「フーコーとエンピツ」や「家族」「くりかえす」、著者自身の体験を下敷きにしていると云う「サン・マルタン」やピアニストの名を冠した意欲作「グレン・グールド」など、印象的な作品は数多いが、その中でも最も心惹かれたのは、「混乱の実例」と云う作品である。しかし当然のことかも知れないが、この作品の持つ素晴らしさは、この作品を実際に読むことでしか感じられないと想う。だから騙されたと想って、この一篇だけでも立ち読みしてみて欲しい。177頁から、丁度10頁ほどである。
「訳者あとがき」で触れられている、現時点で著者唯一の長篇『話の終わり』や、最新作『サミュエル・ジョンソンは怒っている』が邦訳されることを、何より心待ちにしたいと想います。彼女の書く小説を、もっと、もっと読みたい。

ほとんど記憶のない女

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