chronic life

I can (not) have relations.

心にダムはあるのかい?

色々考えてると、本当の自分の気持ちとかって一体何なんだ?とか、そんなもん本当にあるのか?とか、詮無いことにぶち当たったりしていたのですが、そんなこと、悩むことは無かった。少なくとも、はーのことを好きだって気持ちは、どんなに他の色んな要因が作用しても、決して消えることはなくて、まやかしでも幻想でもなくて、少し妄想は入ってるかも知れないけど、それも含めて自分の気持ちな訳で、それだけは確かに自分のものだって云えるし、判る。信じれるし、守る。
だから、僕にもちゃんと気持ちってのはあって、だから勿論、やりたいこととか進みたい道とかも絶対にある筈だと想う。少なくとも今此処で、こうやって蹲って、嵐が過ぎ去っていくのを唯じっと待ってるみたいにしていることは、僕のしたいことじゃない。もっと僕は、別の可能性を見出すんだ。それが何なのか、はっきりとしたことは判らないし、勿論直ぐそこに辿り着ける訳でもなくて、寧ろ道は険しい。けど、それでも、唯今の場処にずっと留まっていることよりは、ずっとマシだと感じている。是迄自分の歩んで来た道や、その結果辿り着いた今の場処が、気に入らないとか、嫌いな訳じゃない。けど、僕にはもっと行きたい場処がある。新幹線に乗って博多に行きたい人が、新大阪での乗換が面倒だからって、大阪で満足したりはしない。大阪は、誰かにとっては目的地でも、僕にとっては通過点だったんだ。若しかしたら、博多だって唯の通過点かも知れないけど、それは博多に着いてから、又別の移動手段を探して駆使すればいい。その前には先ず、博多に着かないと!
自分の気持ちが信用出来ないとか云うのは簡単で楽なことだけど、要は「じゃあ如何するの?」ってことで、自分を信じなきゃ動けないし、何も変わらない。それは僕が、はーから教わったこと。変わる為には、今の自分の状態を認めて、その上で、一体何を如何しないといけないのか? 自分はどんな風に変わりたいのか? 何を守り続けたいのか? それをはっきり自分に問い質さなくちゃいけない。そして、自分のことを信じる。変われる自分を、変わった自分を信じて、それに向かって只管突き進む。今僕は、それをしなければならない処にいるんだと想う。誰よりも、自分自身の為に。
はーはとっても優しくて、いい女なのです。普通なら聴きたくもないような僕の戯言にも耳を傾けてくれて、ちゃんと真剣に返事を返してくれます。厭きれることも見限ることも諦めることもなく、誠実に僕と向き合ってくれます。だから、僕もその期待に応えたいし、はーに似合う人になりたいのです。それが僕の愛情表現であり、彼女に対する数少ない恩返しだとも想うから。
――えぇーっと、取り敢えず、ちゃんとご飯食べます(笑)。泣き疲れてお腹減ったよ〜。